column05 of ソトボラ

COLUMN -モデル・Shogoのボランティアに行こう!-

Shogo

しょうご●愛知県出身。さまざまなファッション雑誌、CMなどで活躍中のモデル。サッカー、ボルダリング、乗馬、スキューバダイビングなど多彩な趣味を持つ。最近のマイブームは登山。山の持つパワーや、自然の素晴らしさに魅了されている。
BARKinSTYLe所属 http://www.barkinstyle.jp/

たまたま違った。
だからやるべきこと。

2012.02.23


おっしゃ! 2月3日〜5日の報告書きます!

今回はバス一台の乗用車一台。計17人。
山源水産の清掃とサンライスプロジェクトにわかれました。

僕は一日目だけ、みんなと別で行動しました。
それは、仮設住宅にいるおばちゃん達が色んな場所で、漁網でつくったミサンガだったり、そこで取れた特別な石を使ったネックレスなどつくっているらしく、それを見に行くため。

いつも作業をふってもらっているボランティア団体の「絆」の方に案内してもらい回ってきました。

いくつか回って行く中で、すごく気になる場所がありました。
石巻市の牡鹿半島にある、かなり隔離されたような場所に建てられている20戸の仮設住宅。海が、すごく近くにありました。

まず、その仮設でリーダーになっているおばちゃんに挨拶をしに行くと、ちょっと待っててねと言って外に出て、「たまちゃーん。東京からお客さん来てくれたからつくったの持ってきてー。」と呼びかけてくれました。離れた仮設住宅なので心配していたのですが、近所のコミュニティはあるみたいで安心しました。

結局三人のおばちゃんが集まり、それぞれ持ってきてくれたミサンガをたくさん見せてくれました。どれも色もデザインもすごくかわいくて、びっくりしました。

漁に使っていたけど津波でダメになってしまった漁網を100パーセント使ってつくられたもの。一緒に来たみんなや東京の友達に広めようとたくさん購入しました。おばちゃんたちはお茶や漬け物、お菓子などいろんなものを出してくれて、いろんなことを話してくれました。

何かしてないとあの日のことを思い出して落ちてしまうのが怖いから、ミサンガをつくり出したこと。

地震直後は下着がなくガムテープを胸に貼っていたこと。

津波が来てみんなが平等になった、と語っていたこと。


それを話した後に一人のおばちゃんがある箱を持ってきました。「これはね、最初につくったミサンガなんだよ。」と言ってみせてくれたミサンガは、まだ染める技術を教わる前の、漁網そのままの赤茶と緑の二色でできているものでした。形もがたがたしていてぶこつな感じだけど、どこか温かみのあるもの。それを手にすると、そのまま何も言わずに僕の手に巻いてくれました。

「いいですよ、こんな大切なもの!」
と途中で僕が言うと、
「これ見ると思い出すからいいの。だから持ってて」
と、悲しそうだけど嬉しそうな顔をしてしっかりと巻いてくれました。

初めて会った僕になんでこんなことしてくれるのだろうと疑問に思った時、前の週に行ったボランティアで出会った、僕たちのことを「息子」と呼んでくれた仮設住宅のおばちゃん達のことを思い出しました。

本当に“縁”というものの大切さをわかっている人たちだからなんだなと。


帰り際におばちゃんが、「もし東京で地震が起きたら助けに行くから。」と言ってくれました。
すごく力強くて温かい言葉に泣きそうになった。
これは、前回であったおばちゃんたちも言ってくれた言葉でした。

たまたま起きた場所が東北だったってことなだけ。
本当にたまたま、場所が違っただけ。

僕は日本で地震がおきて初めてそれに気づいた。
同じ日本に住んでいるのだから。
日本で起きてることぐらい、ちゃんと僕らで復興させなきゃなと改めて思いました。

ただ、今のところ何をもって復興したというゴールは決まっていないから、わからないうちは、僕は行き続けるつもりです。

支援の形は人それぞれ。
それぞれにできることでサポートして行きましょう。

1.JPGたくさんの素敵なミサンガ。色も編み方も全部かわいい。

2.JPG一つひとつにストーリーが。

4.JPGこの人たちは、笑顔でいることの大切さを知っている。

3.JPG手に巻いてくれたおばちゃん。なんて言ったらいいかわからないけど、ありがとう。



「心の繋がり」

2012.02.03


あけましておめでとうございます。
って明けてだいぶ経ってますね。
すみません。。
今年はこうしよう!って言うよりも、長期的にサポートするために今年もたんたんとやれることをやって行こうと思うので、よろしくお願い致します。

ってことで1/27~29の報告です。

今回はメンバー八人で石巻市に向かい二班に分かれました。水産の清掃とサンライスプロジェクト。僕はサンライスの方です。

初めて参加するサンライスプロジェクトとは、仮設住宅に一人で住んでいる65歳以上の方に、お米を3キロ配ると言うもの。ただ単にお米を配るのではなく、お米をきっかけに手紙を添えて配ります。

手紙には「このお米をたくさん食べて、元気を蓄えてくださいね!」などが書いてあり、その下に書いた人の住所と名前が添えてある。そこには意味が合って、その手紙を書いた人と繋がっている、と言う気持ちの繋がりを感じてもらうことが一番の目的。

現に、手紙のやり取りが何件も始まっているらしいです。月に一度配りに行くんですが、一回目で手紙を出さなかったとしても、毎月お米と一緒に渡す手紙が何枚も溜まっていき、ふと余裕ができた時に手紙でも書いてみようかな、と思える状況を作る。すごく素敵だと思いました。

一日目、何件か独居の方を回ってお米を渡せました。6件目に玄関出てきたおじいちゃんは、寒いからと言い部屋の中に入れてくれました。そのまま1時間ぐらいたわいもない話をしました。おじいちゃんはこの仮設には知り合いもいなく、作る気もない。家族の話も出なかったので少なくとも近くにはいないと思う。唯一の知り合いは、自転車で15分ぐらいかかる仮設住宅に住んでいる、避難所生活時代に仲良くなった方だけのようでした。

しばらく話をして打ち解けた頃、ふいにおじいちゃんが「俺には彼女がいるんだ」と自慢げに言い出しました。戸棚からたくさんの封筒を取り出し、写真と手紙を見してくれました。そこには僕らと同じぐらいの年齢の女の子が写っていました。

彼女は避難所にボランティアに何ヶ月も来ていてその時に知り合ったようでした。その彼女について話しているおじいちゃんは本当に嬉しそうで笑顔で溢れていました。全然食欲はないけど、その子に言われたからフルーツとヨーグルトだけは絶対食べてると言っていました。

おじいちゃんも彼女ってことは冗談で言っているにしても、その”繋がり”だけでこんなに元気になれるんだと感じました。帰る時、「また来こいよ」とすごく寂しそうな顔をしたのが本当に印象的でした。

二日目、引き続きサンライス。
行ってすぐに、どの仮設住宅にもコミュニティの場として建てられてある集会所をのぞいたら、8人ぐらいのおばちゃん達が楽しそうに話していました。楽しそうなので、顔を出してみると、「もう~寒いから入りな入りな!」と言ってくれたので遠慮なく九門さん、みやびくん、僕でお邪魔しました。

おばちゃん達は支援物資の洋服を仕分けしていました。おばちゃんたちの印象は、とにかくみんな本当によく笑う。冗談を言って、大きな声を出してとにかく笑う。ただ、あるひとりのおばちゃんを見た時に、本当に笑ってるんだと思うけど、そっちの方向に自分でもっていっているんだろうな、と感じた瞬間がありました。

すぐに仲良くなったので、お茶やお菓子、お漬け物、生わかめなどを家から持ち寄ってくれてお茶会がはじまりました。最初はお話好きのおばちゃん達が冗談まじりの面白い話をして盛り上がっていました。一通り盛り上がったぐらいから、たまに地震の前何をしていたか、亡くなった旦那さんの話、横浜にいる息子の話などをぽつぽつと話すようになりました。

ひとりのおばちゃんが
「私たちね、みんなで集まっている時はこうして笑っていられるけど、家で一人でいる時は色んなこと考えちゃってシュンとしてるんだよ」と言いました。
またちがうおばちゃんは、
「地震直後はほんとうに、ほんとうに辛かった。だから今こうやって笑えていることが本当に嬉しくてね。。」と涙をこぼしました。
身内には言えない悩み、辛かった時の思い。これは、ボランティアできている僕らみたいな第三者にしか話せないことだと思う。

瓦礫の撤去や泥はけなど目に見えて進むボランティアもまだまだあるけど、今は本当にぱっと見わからない人の心に目を向けることが大切だと強く感じた。地震直後の危機的状況はなんとか乗り越えた、でも、家もなくし、職もなくし、身内もなくし、今まで知らなかった人がご近所さんになり、先の不安に押しつぶされそうになる。

そんな時に、他県から来た誰かが自分に心を寄せてくれている。そのことが本当に被災地の人達の生きる活力になることを感じた。確かに、自分がその状況になったらと考えると、その思いはわかる。おばちゃん達は途中から僕らのことを「息子」と言うようになった。”縁”だったり”繋がり”ってものを本当にわかってる人たちだから出た言葉だと思う。

今回、一日目のおじいちゃん、二日目のおばちゃん達、二つの状況は違うけど共通して感じたのは
「心の繋がり」
が本当に大切と言うこと。別にガッツリと中に入らなくても、繋がってるってことだけでいい。それが本当に生きる力になる。

やり方はたくさんあると思う。
とりあえず自分は、この二つの場で最後に一緒に写真を撮り、手紙を添えて送ることにした。

今週末も石巻市に向かいます。
みんな一人一人が、それぞれの形で繋がることを大切にして行きたいなと思いました。

P1060111.JPG仮設住宅は元々公園だった場所や野球場、学校のグランドなどにあります。

RIMG0266.jpg一緒にいる10歳の響。頑張って手紙を書きます。

RIMG0215.JPGお米を運んで、独居老人の方のお宅を回ります。

RIMG0231.JPG回っていた仮設住宅には素敵な絵が描かれていました。

P1060136.JPG冬になり緑だった雑草も枯れて、なんか寂しい感じがしました。



後ろを向いたら。

2011.12.22


こんにちは。
今回のボランティア(12/9〜12/11)の報告をします。

今回は総勢23名。いつも運転してくれているロケバスの林さんがお仕事で参加できなかったので、ハイエース1台、エスティマ1台、乗用車3台で石巻に向かいました。作業は前回と一緒で水産工場の清掃作業7人と、仮設住宅の方々が車を共同利用するカーシェアリングを進める部隊16人に分かれました。

水産工場の方は前回同様、山源水産という新しく派遣された水産工場。チームのメンバー、ビクトルさんがリーダーとなって進めてくれました。かなり信頼関係を築けているみたいで、また新たな進展があったみたいです。ちなみに、前回のボランティアをきっかけに作業を一気に進め、最近稼動し始めたみたいです!
素晴らしいー!
引き続き関わっていきたいと思います。


僕らが回ったカーシェアリングの方は、前回持ち帰った話し合いの結果、もう少し仮設住宅を回れるだけ回って今の現状を知ろうということになりました。そして、4人ずつのメンバーに分かれて回ったのですが、回って行く中で一人一人の関わりがとても重要だと思いました。とりあえず、僕が回って感じたことを書きます。

約100戸の集合仮設住宅のうち、残りが約20~30戸。そこを4班で手分けして回りました。一日目に回った地域は中心部から少し離れた山の方。周りにスーパーやコンビニは全く見当たらず、見渡す限り田んぼの風景の中に、ぽつんとある感じでした。そこは約40戸中、まだ6戸しか入居していませんでした。

そこで出会った60歳前後の元気なおじさんがいました。そのおじさんは前日に仮設待機所から一人で引っ越してきたようで、どこかに石油ストーブを売っているお店はないかと、周りを自転車で散策しているところでした。

話が弾み「家見てくか?」と言ってくれたのでお邪魔しました。壁に断熱材がまだ入っていなかったので中は本当に寒くて壁は結露してました。エアコンはついてるんですが電気を節約するためにホッカイロを全身に貼って寝ていたみたいです。

震災の時の話を始めると一時間近く雪崩のように話してくれました。震災の日、津波で人が流れているのを目の当たりにしても、当時はもう感覚がおかしくなってしまって何とも思わなくなっていた、と言っていました。

震災の話もたわいもない話も、話し相手がいない寂しさから溢れ出ててた気がします。話が終わり帰る際に、「もう今日は寒いからストーブ買いに行くのをやめる」と言ったので、僕らの車で電気屋に行こうと誘いました。「いいの?」と遠慮がちに言いながらも、ありがとうと涙を浮かべながら喜んでいた顔は今でも忘れられません。

車の中ではもっと深い自分の話をしてくれました。
離婚していて一人ということ。
息子は仙台にいてあまり助けを求めれないということ。
元々タクシーの運転手だったということ。

仮設住宅から車で30分かけて街の中心部に行き、電気屋で石油ストーブと石油を購入して仮設住宅に戻りました。

別れ際に「今日は気持ちよく眠れます。本当にありがとう」と本当にいい笑顔で言ってくれました。僕はこの人こそカーシェアリングが必要なんだなと思いました。

独り身で、周りに何もなく、身内にもあまり頼れない。そして元タクシー運転手。本当に遠慮がちな人で、カーシェアリングの話をしても「わざわざそこまでしなくても大丈夫だよ」と謙遜するので深くまで話せなかったけど、もう少し人間関係ができれば信頼して耳を傾けてくれるんじゃないかなと感じました。そして、こういうことの積み重ねが大切なんだなと思いました。

瓦礫の撤去や泥はけも、一歩一歩進めて行くしかないように、一人一人が前向きになれるように、小さなことからサポートする。危機的状況ではなくなって、ようやく歩き出した人が先のことを不安に思い戻ろうとした時、後ろを向いたら明るくサポートしようとしている僕らがいて、また前を向いて歩き出す。そして気づいたら走り出していた。

そんな関係をつくることができたらとても素晴らしいと思うし、僕らのチーム含め、一人一人がそんな存在になれたらいいなと思いました。少しずつ状況は変わってきてるし、毎回が違います。みんなで話し合って一歩一歩進めていこうと思います。

01.jpg水産工場の清掃。力作業もまだまだあります。

02.jpgこの日はちょうど皆既月食の日だった。みんなで祈りました。

03.jpg被災地はまだまだやることは尽きません。行ける人が足を運びましょう。

佐藤さんから学んだこと。
そして僕らの宿題。

2011.12.07


毎月行ってはいるんですがレポートを書けてませんでした。すいません。。

さて、先日11月11日〜13日でいつも通り石巻市に行って参りました。
あっ、みなさんにひとつ嬉しいご報告。
なんと、6月から毎月行き続けていた佐藤さんの水産工場が再稼動しました!!!!!

もう本当に言葉にならないぐらい嬉しいです。
津波によって工場内に車が入り込んでいたり、重機が流されたり、すべてが泥だらけになったあの状況で再開すると強い覚悟を決め、大きな一歩を踏み出し、少しずつ進めてきた作業がついに再稼動というと言うところまで来ました。僕らは本当に佐藤さんや佐藤さんの家族ににたくさんのことを教わりました。

覚悟を決めればすべてが動き出すということ。

一歩一歩しか進めないけど、それでも一歩一歩進むこと。人に関わると言うことの温かさ。他人のことを思うこと。

挙げればきりがないですが、一緒に行っている一人ひとりが本当にたくさんのことを学んで、東京に持ち帰っていたと思います。本当に出会えてよかったと心から思います。まだまだ完全な復興には時間がかかるかもしれませんが、僕らができることでサポートし続けていきたいと思っています。

そして、僕らが佐藤さんやその周りの方々から学んだことが、これからやろうとしていることに生きようとしています。今回ボランティア団体から、水産工場(山源水産)の掃除とカーシェアリングをお願いされました。

まずは水産工場。
今まで佐藤さんの所でやってきた、ケルヒャー(高圧洗浄機)を使った水系の清掃。これはお手の物で、作業の進み具合にびっくりされました。
「希望が湧いてきた」
と、社長さんがおっしゃってくれました。ここも継続していって、人間関係を深めて進めていきたいと思います。

そして初めて参戦したカーシェアリング。
100カ所近くある石巻市の仮設住宅。その集合住宅ごとに、
「車の需要があれば、無料でシェア出来る車を提供出来るので」
と言うことを話して回りました。一軒一軒訪ねていき話していく中で、気づいたことが。
それは、その集合住宅ごとのコミュニティがあるところとないところとの差がはっきりしているということ。

地震以前は自然とあった近所付き合い。誰がどこに住んでいるかを当然のように知っていて、ご飯を多くつくりすぎたらお裾分けしたり、雨が降ってこれば留守の家の洗濯物を取り込んだり。そんな田舎特有の、深い近所付き合いがスパンとなくなった新しい仮設住宅という場所。本当は以前のように近所付き合いをしたいが、そのきっかけがない。

僕が回った4つの集合仮設住宅の中で、2つの場所でお茶会が開かれていました。そこに参加させてもらったんですが、明らかに他のコミュニティがないところと住んでいる人の顔色が違いました。顔が緩んでいてすごく笑うし、年寄りの方を若い人がサポートしているし、どこに誰がいるかとか、何曜日は仕事していて何時に帰ってくるかとかまで知っていました。
そしてそこには、人を集めるリーダーがいました。リーダーと言ってもすごく優しそうな品の良いいおばあちゃんです。

カーシェアリングをきっかけに仮設住宅を回っていた今回。今の時期にまず必要なことが明確になりました。
それは、

仮設住宅ごとのコミュニティをつくるお手伝いをすること。

お茶会をやっていなかった残りの2つの場所は、誰がどこに住んでいるかもわからず、安心できずにすごくピリピリしている方もいたし、僕らが行くとすごく喋ったり、いろんなことに対する不満が多いイメージがありました。みんなが集まる場所が欲しいなぁと言っていたおじいちゃんも。そんな場所で、まずみんなが顔を合わせられる場をつくって人と人をつなげたり、リーダーになってくれそうな方がいたら話をしてみたり。

月に一度しか行けない僕らが行く時だけ何かがあるのではなく、自然とコミュニティが育っていくきっかけをつくる。そこからカーシェアリングも含め、色んなことが始まると思います。それも県や市の目が行き届いていない10〜20世帯しかない仮設住宅で。それが今すごく重要な気がしました。

細かくは今回行けなかった人も含めて、まずみんなで東京で集まって話し合いたいと思います。次に行くまでの僕らの宿題。

水産工場の清掃も仮設住宅のことも、佐藤さんや周りの方々に教えてもらったこととリンクしているとしか思えません。僕らができることで関わっていこうと思います。

photo01.jpg佐藤さんの加工食品。これはみそ漬け。ほんとーに嬉しすぎる!

photo02.jpg活き活きと作業する佐藤さん。この光景が見たかった。

photo03.jpgたくさんのことを学びました。そして、これからも僕らにできることがあればサポートし続けます。

伝えなきゃいけないこと。

2011.10.27


先日、最近よく行っている水産工場の佐藤さんのお母さんから、作業を終えて帰る時に、A3サイズの封筒を手渡されました。中には何か文が書いてある紙が数枚。お母さんの手紙と、中学三年生の娘さんが書いた詩が綴られていました。

僕は家に帰りそれを読みました。

そこには、僕が想像していたような悲しみだけが書かれているものではありませんでした。被災し、たくさんのものを失い、想像もできないほどの辛い経験もした。
しかし、そのなかで出てきた言葉は、

人を思う気持ち。

だった。

自分で精一杯なはずなのに、自分ではなく他の人の事を思う。本当に凄いと思った。承諾を得たので、ここに載っけます。

伝えなきゃいけないこと。

伝えていかなきゃいけないこと。

是非みなさん読んでください。




生きる

この世にみな生をうけ
あっさりちるかもしれないが
一生懸命生きていく
懸命に生きる人は
輝きにみちている
そんな人はみんなを笑顔にし
みんなを幸せにする
だからみんなも懸命に生きよう
命あるかぎり

当たり前だと思っていた事がたくさんあった
でも、今はすべて幸せだと思う
その頃は、何にも満足出来なかった
今は、生きているだけで満足だ
たくさんの人の気持ちを受けて生きていこう
一歩一歩踏みしめていこう
ふと、後ろを振り返ってみれば、たくさんの事があった
でも、今はその物事があったから生きていける
はずかしいことなどなに一つない
みんな同じ人間だから
だから幸せになれる
そしてみんなで分かち合える
今こうしている時も幸せだ

たくさんの人が生まれて死んでいく
その中であなたはどんな足跡をつけていくのだろう
どんな人生にしていくのだろう
失敗があるのは当たり前
そのピンチをどういかすかを神様は見ている
ピンチをいかせる人は、命をいっぱい輝かせる
何かにつまずいたって、ゆっくり立ち上がればいい
一人で立ち上がれなければ、周りの人に手伝ってもらえばいい
立ち上がれないことはない
次を信じて立ち上がる
今宮城は神様からチャンスをもらった
今、一つになる時、
周りを見て困っている人はいないか
困っている人がいたらよりそってあげよう
その人がなにかを信じられるようになるまで




すごくシンプルで強くて温かい。

大切なことを教えてくれた。

みなさんは何を感じましたか。

__.JPGお母さん、娘さん、 ありがとう。




人という字は。

2011.10.13

またまたご無沙汰です。
ボランティア、行くには行ってるんですがレポートだけ溜まってます(笑)。すみません。

8月の2回目のことを書きます。8月19〜21日で、いつも通り石巻市に行って参りました。モデル仲間中心の15人。今回も185cmオーバーが5人です。
心優しき巨人たち。

今回の作業は何度も手伝わせてもらっている佐藤さんのところの水産工場。毎回行くごとに佐藤さんご夫妻の表情が明るくなっていく。少しずつ前進しているのだろう。素直に嬉しい。

今回はひたすらカゴを清掃します。一つ洗うのに20分近くかかります。夫婦だけでやろうと思うとぞっとする量。僕らがいる時に少しでも多く終わらせたい。みんなその一心で洗い続け、100個ほど洗い上げることができました。それだけできたのも、今回東京である方から無償で頂いてきたケルヒャーという高圧洗浄機のおかげ。これがあると泥を落とす系の作業スピードが格段と上がります。


そして今回昼だけの作業ではありませんでした。以前に牡蠣の養殖の手伝いをさせてもらった時に行った漁港で、たまたま灯籠流しがありそれも手伝わせて頂きました。

トラックで運んできたたくさんの灯籠を船に運ぶ。その一つ一つには亡くなった方々の名前が書いてある。船にすべて積み終わると、船は沖に向かいました。そこから全部でどのぐらいの時間だったのだろう、真っ暗で静かな海に灯籠の光だけが動いている。地元の人たちはどういう心境なのだろう。なにを感じているのだろう。
ただ手を合わせることしかできなかった。

船が帰ってきてから、漁師のリーダーのおじちゃんが僕らに話してくれた。
「今回こういうことがあって船とか道具とか全部流されちゃったけど、こうやってあんたたちが何度も来てくれるから俺らは頑張れる。みんな声には出さないけど感謝してるんだよ。みんなも一回しかない人生おもいっきり生きて欲しい。一生懸命やれば失敗しても後悔しねぇから。本当にありがとう」

みんな泣いていた。
おもいっきり生きる。
すごく心に響く重みのある言葉だった。

前回と今回でお盆という行事があることによって、お墓参りや灯籠流し追悼の会が至る所で行われていた。それによってなのか、何か少し笑顔が増えた気がする。

今は地震直後のような緊急を要する状況ではないのかもしれない。ただ、少し冷静になれる時だからこそ、先の不安を考え始めてしまう時期かもしれない。そんな時に、力になれることは少ないかもしれないけど、サポートしてくれているという存在が思っている以上に地元の人たちの支えになっているんだなと凄く感じた。この先、何年か後に作業が終わった時が来たとしても、会いに来ようとみんなで決めた。

そして!

力になりたいけど、どうしても行けない人のために、義援金で支援したいけどどこに送ったらいいかわからない人のために、素晴らしいプロジェクトを持って帰ってきました!

その名も、

「金華山沖玉手箱」。

僕らが牡蠣の養殖と灯籠流しのお手伝いをさせて頂いた漁港。その一帯は金華山と言い、そこで獲れたサバやホタテは金華山ブランドと言われるほどのものです。そしてこのプロジェクトは、まず金華山で獲れる未来の海産物を玉手箱として購入する。未来の海産物を予約購入することで漁業を再開する資金が生まれる。その資金で再開し、復興した何年後かに獲れた海産物が送られてくるというもの。一口一万円からです。

募金してもどう使われているかわからないから募金をやめてしまった方、これならちゃんと漁の道具や船の購入にダイレクトに使われます。

詳しくはこちらのHPに載ってます。
http://omotehama.com/

覗いてみてください。
それでは。

01.jpgこいつがケルヒャー。まじで最強です。
02.JPG佐藤さん夫妻と。笑顔が増えた。
03.JPG一つ一つ大切に運ぶ。
04.JPG船で沖に行きそこから流す。表には見えないけど、みんな乗り越えて強く生きている。そんな人たちをサポートしたい。

僕らはその場に居なかった。
でも。

2011.09.05

ご無沙汰です。

8月も2回行ってきました。まずその1回目のこと書きますね。

今回も日帰り弾丸ボランティア。13日(土)の夜出発、14(日)の夜帰り。ハイエース2台で11人。石巻市に向かいます。

メンバーは職業別で言うとバラバラで、モデル、スタイリスト、ヘアメイク、カメラマン、看護婦、料理人。みんな感じ方はいろいろなんだろうな。人として感じることもあるだろうし、自分の職業ってフィルターを通して見ると、また違ったことを感じているのだろう。

今回の作業は神社の清掃。ここの神社、昔から何か震災があればこの神社に行きなさいという言い伝えがあったそう。そして震災当日、この神社には約250人もの人が集まり、建物の中に避難した人は津波の被害から逃れられたらしい。海側に大きな松が2、3本立っていて、それが流れてきた大きな瓦礫や車をブロックしていた写真を見せてもらいました。

そしてここの神社は、近所に住んでいる人々がいつも集まる憩いの場所でもあったらしい。敷地内にある相撲の土俵を見るとその光景が目に浮かぶ。住職さんは、ここをまたみんなが集まれる場所にしたいと話してくれました。

瓦礫はある程度片付いていたので、僕らの仕事はひたすら草むしり。たしかに綺麗なほうが入って来やすいもんね。いつものごとく、僕らが来たからには全部終わらせてやろうぜ!ってみんなで気合い入れてやりました。

昼休憩の時、一人のおばあちゃんが話しかけてくれました。そのおばあちゃんは近所に住んでおり、津波の際にこの神社に逃げてきてなんとか助かったらしい。おばあちゃんはその時の恐ろしかった経験を、溜めていたものを吐き出すかのように話してくれました。

言い伝え通りに神社に来たら助かったこと。
真っ黒な津波が凄い早さで迫ってきたこと。
神社の中にぎゅうぎゅうに人が居たにもかかわらず、不思議と子どもや赤ちゃんが全く泣かなかったこと。
建物の外に居た人は流されてしまったこと。

そして、甥っ子が全員流されてと、言った時、おばあちゃんの目から涙がぽろぽろと溢れた。何度も被災地に行っていて、地元の人と話す機会も多いけれど目の前で泣く姿を見るのは初めてだった。

僕の周りでまだ被災地に足を運んだことのない人は、よく「地元の方になんて声をかけたらいいかわからない。変なこと言っちゃったらどうしよう」と言う。確かにデリケートなことではある。ただ、結局その場を経験しない限りはその気持ちをわかりきることができない。それでも、親身になって話を聞くことはできる。話を聞いて共有しようと努力すればいいのだと思う。それだけで、地元の人は顔が少し緩む。話を聞くことがすごく大切な気がする。

昼からも気合いを入れて作業に没頭。ほぼ全部終わらせることができました。

みんな暑い中お疲れ様!
少しでも早くみんなが前向きになれるように行き続けよう!

IMG_2790.JPG入り口を入念に。またみんなが集れるように。
IMG_2789.JPGここで子どもたちが走り回っていたんだろうな。
IMG_2784.JPG凄くパワーを感じる場所だった!

笑顔は伝染する。

2011.07.28

7月22日夜出発で、石巻市に行ってきました。

今回はモデル、ヘアメイク、プレス、スケーターチームと一緒に。みんな若くてパワーのある人たちです。全員で30人。マイクロバス1台とハイエース2台で向かいました。

作業内容は牡蠣の養殖の手伝いと、水産工場の清掃。牡蠣の養殖の方には20人行ってもらい、僕を含めた9人は水産工場の清掃に回りました。

牡蠣の養殖の方は本当に養殖の手伝いで、ロープに牡蠣の貝殻を付けてそれを沖のポイントに船で落として行く作業。若い子たちがたくさん来たから、漁師のおっちゃんたち、めちゃくちゃ元気になってくれたみたい。若いパワーをお裾分けするのも僕らの仕事。瓦礫を撤去するだけが復興作業じゃないですね。


そして僕らのほうはと言いますと、この前の週にもまた別で、僕が所属しているサッカーチームのメンバーと一緒に行った時に作業をした水産工場。この地域一帯は水産工場が多く、向かう途中僕もたくさん看板は見たのですが、唯一ここの工場だけが再開しようと決めたらしい。それ聞いた時に僕は、絶対にこの工場が再開するまで手伝い続けようと決めました。水道も電気も通っていないこの状況でのこの覚悟は凄いことだと思う。

作業は、泥はけから始まって、壁や天井の清掃、かごの洗浄です。3メートル以上の津波に襲われているので、まずはすべてを洗い流すところから。

そして、今回被災地に行きたかった人と、やっと行けたことが嬉しかった。

その人の名前はコウタさん。

沖縄人のスケーターチームのリーダーで、すごく熱い人。僕が被災地にボランティアに行ってる事を聞いて、一緒に行きたいと言ってくれました。
そして、その理由も話してくれました。

コウタさんは沖縄にいる時に、よくおばあに戦争の時の話を聞いていたらしい。家があったところが焼け野原になったこととか、敵が攻めてくるのから必死に走って逃げたことなどを話してくれた。しかし、実際その場に立っていないし、今の平和な世の中だと本当の話とは理解しきれなかった。そして、この大震災が起きて自分も衝撃を受け、テレビで見たものは戦争時の光景のように感じた。

あの光景をちゃんと自分の目で見れば、少しでもおばあの思いを理解できるかな、と、思い参加しようと決めたらしい。そしてせっかくなら、とスケーターメンバーも連れてきてくれました。


初めて被災地に来た人が多くて、最初いろいろと不安に思っていましたが、作業を終えて合流した時にはみんな目が輝いていました。帰る時に「次いつ来るの?」とか、「今度は泊まりで来ようよ」とほとんどの人が言ってきました。現地の方たちと接することで、東京で考え過ぎてもやもやしてたことが全部すっきりしたみたい。

「行けばわかるから、とりあえず一緒に行こう。」

僕はみんなにそう言い続けていこうと思う。

1.JPGかごを歯ブラシやタワシで洗浄する。1個洗うのに30分はかかる。

2.JPG沖縄スケーターメンバー。奥の黒いタオルがコウタさん。無言でもくもくと天井の汚れを落としていた。

3.JPG僕が嫌いな「津波の線」。とにかくこれをなくしたい。

4.JPG牡蠣の貝殻をロープに付ける作業。貴重な経験。

5.JPG準備したロープを船で設置しに行く。当初は漁師の方も手伝わさなかった作業らしいが、喜んで手伝わせてくれたみたい。

6.JPG笑顔は伝染する。どんどん伝染させに行きたいと思う。

一人一歩進める。

2011.07.07

 今回も前回同様、土日を利用して日帰りで石巻市の写真の修復作業に行ってきました。
 車一台。
 メンバーはいつも一緒にボランティアに行く、同じ事務所「バークインスタイル」の大地と、ケンコバことKen Kobayashi。
 そして前回、半ば強引に連れて行った違う事務所のサラサ。彼女は一度被災地を見てやはり心が動いたらしく、今回は自ら志願してくれた。
 女の子だからできること、気付くことがたくさんあって、いつも「ほぉー」って感心する。女の人は強いです。

 さてさて、写真の修復作業は前回もやっているので、黙々と作業を進める。アルバムから写真をはがし、筆と水を使い綺麗にして、濯いで、干す。一つ一つに思いを込めて、丁寧に修復する。
 しかし、作業を進めるなか、みんなの中で2点気づくことが。

「前回よりもカビ多くない?」

と、

「ハエ多くない?」

だ。

 そう、この最近の暑さで写真にカビが生え始め、撤去されていない瓦礫からハエが大量発生しているのだ。恐れていたことが起き始めている。早くしないと、救える写真も救えなくなっちゃうし、早く瓦礫や泥を掃けないと衛生的に悪くなって行く一方。時間との戦いだ。

 作業の合間、修復した物の展示会場を見せてもらった。そこには写真以外にもたくさんのものが展示してあった。トロフィー、卒業証書、ランドセル、おもちゃ、遺影、位牌。
「あー!これ○○君!」って5歳と小3ぐらいの姉妹が写真を見つけていたり。
「これ妹夫婦のなんですけどいいですか?」って大切に写真を持って帰っていた。
 大切な物が展示されているその広いスペースは、色々な気持ちが溢れていて神聖な感じの空間だった。もし僕が探しにくる立場だったら、怖くて来られないかも。。
 それでも、色んな気持ちを整理しようとたくさん人が来るんだろうなぁ。

 その日もたくさんの人が思い出の品を探しに来ていた。
 瓦礫の撤去も写真の修復作業も同じ一歩な気がした。

1.JPG完壁な役割分担!(笑)

2.JPG筆でインクが取れないように注意しながら汚れを落とす。

3.JPGこの剥がす時がすごく重要。判断を誤ると写真がダメになってしまう。

4.JPG作業をしている石巻市の旧市役所の2階部分が展示会場。

6.JPG人それぞれ色んな思いを持ってここに訪れる。本当に繊細な場所。

7.JPG凄い空気が流れていた。

8.JPG色々な物が展示してあった。見つけた人はどんな気持ちなんだろう。

立ち上がれ若者!

2011.06.25

 はじめまして! モデルのお仕事をさせていただいてますShogoと言います。こんにちは。

 今回、これまでに経験をした事のないあの震災で、心を揺さぶられた若者は多いと思います。僕もその一人で、今までの平和だった生活に衝撃とともに何かを刻まれた気がします。僕は震災のちょうど一か月後、ボランティアの体制が整ったと聞いたので、居ても立ってもいられず、すぐに休みを取って岩手県が募集しているボランティアに参加しに行きました。
 実際現地に行って見る光景は、やはりテレビで見る以上に、想像を絶するものでした。空気、におい、そしてそこにいる人達が思っていること。僕が配属された場所は山田町と言うところだったのですが、その時の復興作業の進み具合はやっと道ができたといった状態でした。でもそこにいる人達は僕が思っていた以上に前向きで、励ましに行ったつもりの僕が逆にパワーをもらったのを覚えています。

 そして、僕の中ですごく違和感を覚えたのが、ボランティアに「若い人が少ない」ってこと。二回目のボランティアでは宮城県に行ったのですが、その時もそう感じました。若いパワーがあれば、気力も体力もあるので、早く作業が進みます。それに、これからの時代を背負って立っていく僕らの世代が、実際に今何が起きているかを見ることはすごく大切な気がする。なので、僕らのような世代の若い人が直接現地に足を運んでボランティアに参加することで、何かを感じとった人が一人でも増えればいいなーと思います。

 まあ簡単に言えば、

「立ち上がれ若者!」

 って、そんな感じですかね(笑)。

 そんなこんなで、先日モデルの仲間を連れて宮城県石巻市のボランティアにバスパックで参加してきました。立ち上がったモデル21人。内、男14人、女7人。みんな熱くていいやつです。バスパックとは、バスを手配して20人以上集めて各ボランティアセンターに申請して仕事を振ってもらう制度のこと。今回割り振って頂いた作業は、瓦礫の撤去! のはずだったんですが、前日の夜にボランティアセンターから電話があり、写真の修復作業のほうに回って欲しいとのこと。もちろんやらせて頂きます!
 仕事で写真に携わっている僕らが、この作業をやることになにか縁のようなものを感じました。

 写真の修復作業とは、自衛隊やボランティアの方々が見つけてきた写真やアルバムを綺麗にして展示する作業。その展示場には、1日に100人ぐらいの現地の方が自分や親族の写真を探しに来ます。被災してしまった人が家に戻ってまず探すものは写真と聞きました。
 すごく大切な作業。
 その写真を拾った場所別にわかれている莫大な量の袋の中から、写真やアルバムを取り出し、乾いた筆やぞうきんで丁寧に泥を取り、水でインクが落ちないものなら筆に水をつけて綺麗にし、単体の写真なら一枚ずつ上にかかったロープに洗濯バサミで干し、アルバムならシートの上に開けた状態で立てて干す。
 フィルムの写真はわりかし残っているのですが、デジタルの写真はインクが水で滲んで何が写っていたのか全くわからないものも多かったです。それでも、顔が残っていたり何となくうっすらと見えているものは残すという指示だったので綺麗にして干しました。撮った人や、持ち主は、もしかしたらわかるかもしれないし、それはその人にとってかけがえのない1枚かもしれないですもんね。拾ってきたものの中には写真のネガもあり、現像可能なものは現像機で新たに写真として復元させていました。

 僕らが作業している最中にも何人か展示場に来ていて、その中の一人のおばあちゃんは自分が住んでいるところは被災地ではなかったのだけど、妹さんが流されてしまい、その妹さんの写真を探しにきたということでした。いろんな人が、いろんな思いを持って探しに来るんだな。それを聞いた時、改めて自分たちの作業の重みを感じました。16時頃まで作業をし、たくさんの写真を干すことができました。指導してくれた現地のボランティアの方もいつもの3倍進んだと喜んでいました。恐るべき若いパワー。

 復興への道のりもいろんな方向から関われるのだなと実感しました。これからも、若い仲間をたくさん連れて行きたいと思います。

01.JPGモデルの大地と彩子さん。自然と作業に気持ちが入ります。

02.JPG写真とネガ。持ち主に届いてほしい。

03.JPGアルバムを干す。中には「昭和八年 除隊」と書いてある写真もあった。歴史は残さないと!

04.JPG無駄なことは考えず、一心に作業をする。これぞ若者のパワー。

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